2010年9月19日日曜日

ファッションヒストリー〜ジャンコクトー〜

ジャン・コクトーは、フランスの前衛芸術家(作家詩人劇作家として著名であるだけでなく、画家脚本家映画監督としての活動も行った)。自身は中でも「詩人」と呼ばれることを望んだという。ダダシュルレアリスムと相互影響はあったと考えられるが、自身は直接は運動に参加せず、むしろ対立も多かった。

フランスのパリ近郊の小さな町であるメゾン・ラフィットでクレマン・ウジェーヌ・ジャン・モリス・コクトー(Clément Eugène Jean Maurice Cocteau)として生まれる。

自費にて最初の詩集『アラディンのランプ』を発表するココ・シャネルをはじめ多くの人と出会うこととなる。、ストラヴィンスキーにも出会う。

モディリアーニをはじめとするモンパルナスの画家との交流が始まる。同年、サティピカソとも出会っている。モンパルナスのカフェ「ラ・ロトンド」にピカソとそのガールフレンドのモデル、モイズ・キスリング、マックス・ジャコブ、モディリアーニ、マヌエル・オルティス・デ・ザラテ、アンリ=ピエール・ロシェ、マリー・ヴァシリエフ、美術評論家アンドレ・サルモンらと一堂に会し、この時にコクトーが撮った彼らの写真は著名である。

代表的映画作品『美女と野獣』を監督。1955年アカデミー・フランセーズ、ベルギー王立アカデミーの会員に選出された。

カルティエの三連リングは彼のデザインであるといわれるが、本国フランスはじめヨーロッパ各国でそのような発表はない


彼こそが、天才と呼ばれてふさわしい。

彼がいなければ、存在すらない現在のブランドも数多いのではないだろうか・・・

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