2006年6月、ドイツ。
SAMURI BLUEの新たな戦いが始まった。
新監督はジェフ千葉を強豪にしたセルビア人監督、そうイビチャ・オシム氏。
新たな才能を発掘し、新生オシムジャパンは航海を始めた。
メンバーにも、羽生、巻といった新たなチカラを代表にいれ、2010南アフリカへとスタートする。
そんな中、オシムの身体を懸念する声がで始めた矢先の事だった。
オシム緊急入院。
日本サッカー界に衝撃が走る。
後任は、、、岡田武史。
日本サッカーの期待を一心に受けた岡田Japanは。。。
就任から、オシムチルドレンを多用し、結果が残せずにいた。
そんな中、アジアカップ敗退。
コンフェデレーションズカップにも出れぬまま、ワールドカップイヤーを迎える。
長谷部、本田、俊輔ら海外組に合わせ、99年のワールドユース準優勝メンバーの国内組がいた為、ドイツワールドカップの黄金のカルテットと引を取らないメンバーだった。
本山雅志、播戸竜二、小野伸二、稲本潤一たちがそうワールドユース準優勝メンバー。
彼らにも勿論チャンスはあったが。残ったのは稲本潤一のみだった。
当初岡田監督は中村俊輔中心のチームをつくった。中村はスコテッシュプレミアリーグのセルティックでポジションを確立しチャンピオンズリーグでも結果を残し続けた彼の実力を誰しもが期待し、日本の飛躍を期待をしていただろう。
しかし、ワールドカップイヤーの直前にスペインに移籍。この移籍が調子を崩させた。
試合に出れない日々が続き、日本に帰国。セルティックでの輝きを取り戻すには時間が足りなすぎた。
日本の10番中村はワールドカップの舞台で輝く事はなかった。
日本も中村の調子がわるいのと比例し
日本代表も勝てない日々が続いた。岡田監督解任の噂さえ流れ、ワールドカップイヤーにも関わらず、テレビ放映がない代表の試合もあった。
抽選が終わり、対戦国が決まり、誰しもがグループリーグ敗退。下手すれば全敗という結果になりかねない。そう思っていたはずだ。
大会直前の韓国、イングランド、コートジボワール戦。
世界との壁の大きさを痛感するしかなかった。
そんな中迎えた、ワールドカップ南アフリカ大会。
カメルーン戦での勝利!
オランダ相手に1-0というスコア以上の気持ちのこもった戦い。
デンマーク戦、決勝トーナメントに行く為、勝ちにこだわる選手の姿勢、3-1という勝利。
この数日で日本代表に何が有ったのか?
スポーツ新聞でこんな記事をに付けた。岡田監督は、コートジボワール戦のあと、残された時間で日本代表が勝つ為にどういうチームで行くべきかを、名将と呼ばれる監督にアドバイスをもらいに足を運んでいたのです。
アーセン・ベンゲル氏。。。
そして生まれた新たなシステム。
阿部をアンカーといポジションにおき、本田圭佑のIトップシステム。
このフォーメーションがはまり、日本代表は決勝トーナメントに進出。
快進撃でした。
何を言おうとも、今回のワールドカップから感じ取れた事は、勝ちにこだわった。
貪欲に、ひた向きに、勝ちたいという想いが、魂が込められていた事。
そんな今回の代表に心うたれた者は多いのではないだろうか?
そう、僕もその一員だ!
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